日々に記録を

今は何もできないけれど、自分の目標に少しでも近づきたいという気持ちから日記を始めました。自分の感受性をここで磨いていけたらと思います。

検査入院してました。

ブログトップに日記を書き始めた理由やきっかけを書いた記事を貼ってあります。

この日記を読んでくださった方々にご一読をお願いしたいです。

よろしくお願いします。

 

4/19 日記247日目。

 

そうですね・・・

書かなかった2日のハイライトでも書きましょうか・・・

明日も朝が早いのでさっさと行きます。

 

まずはおととい。

バイト。

書きたいことはいっぱいあったがとりあえずバイトしてました。

ここ数日寝つけが大変悪く、この日も1時間しかねていない。

家帰ってからソッコーでベッドイン。少し眠れたが、やはり眠れず深夜に起きてしまう。

しかし明日はレースで朝が早いから、風呂入って寝に入る・・・

 

昨日

 

寝坊した・・・

起きたら集合時間を40分くらい過ぎていて、すぐに迎えに来てくれる予定だった方に超絶謝ってひとまずその方がいるところに走って急行。

 

寝坊したせいで試走はできず、ぶっつけ本番。

シクロの耐久レース。

2時間の予定が悪天候で1時間に変更。

2人ペアだったので後半30分を走った。

ぶっつけ本番(先に走っていた先輩に感触は効いていたが)、2周目のシケインで前転。

頭を強打。

どうやら30分完走したようだが、コケてからの記憶がほぼない。

それをチームメイトに告げると医療関係の人の下へ連れていかれる。

結果、病院に行くべきという判断で病院へ・・・

病院の診断は脳震盪と脳内出血の可能性ありということで緊急入院・・・

 

日記。

 

病院ハイライト

 

・「無」という時間。

緊急入院ということで、検診を終えてからソッコーで病棟へ・・・

帰宅できず泥だらけの荷物がリュックサックに入れっぱなしのままベッドイン・・・

ひとまずベッドインしてから残りの充電を振り絞り親含めいろんなところに連絡を入れる。

充電が切れてしまった・・・

予定では次の日で退院だったし、何か退屈をごまかすものを買ったりするのも中途半端になると思って何にも買わないことにした。

夜も消灯は21時だったが、実際眠りにつけたのは1時くらい。

眠るまではまさに「無」という時間を過ごした。

心電図モニターは充電が切れる前のサイレンを小一時間部屋中に鳴らし、廊下の薄明かりと外の街灯が漏れて部屋を照らしている。

退屈を弄ぶものは何もなく、ひたすら眠くなるまで空虚な思考を繰り返す。

時にはレース中のことを思い出そうと試みるが、やはり思い出せない・・・

消灯時間から寝るまでの5時間、トイレと部屋を3往復はした。

本当に何もない・・・空っぽな時間・・・

 

とてもいい経験だと思った。

何もできず、何もしない。

ひたすら 「無」 。

心電図モニターのサイレンは、聞いているうちになしている音の中身が聞こえたきがして面白かった。

「ピーポー」と鳴る、ウルトラマンのカラータイマーにも似た2音の中には3種類の仕組みが見えた。

後半の音はわずかだが次第に大きくなって震えていた。

 

そのくらいしかすることがなかった。

いや、正確には勝手にしてた。

今思うと、これは音楽を聴き込むヒントなのかもしれない。

今度やってみよう。

 

・病院食はハマれる

入院ということで、もちろん食事もいただけた。

薄い薄いとよく言われる病院食は確かに薄味だった。

しかしこれが意外にもいけてしまう。

なんだか健康食を食べている気分で、食べていて悪い気はしなかったし、薄くて食べられないかと言ったらそんなことはなかった。

薄とはいっても食品本来の味はしっかりしていて、調味料をうまーくコントロールしているって感じ。

そしてそれらから感じるちょっとした不満は全てコメによって総括される・・・

ほのかに暖かく甘い米が本当に美味しくて、僕はその味を噛み締めた。

量としても腹八分目以下でちょうどいい。

これが健康食か・・・

 

今日の昼すぎ、退院したときには少しロスを感じてしまった。

 

もうしばらくはあの食事を愉しむために入院していてもよかった。

 

不謹慎に感じる方もいるかもしれないが、検査入院で病院にいた時間も、僕が感じた「無」という感覚も、そして評判のよくない食事も、今の僕にとっては本当に貴重な時間だったと思う。

これは滅多にできない体験だし、体験できた僕はもしかしたら幸せかもしれない。

日々多忙なことが多いなら、こんなに本当に何もない時間を過ごすというのがたまにはあってもいいと思う。

それこそホテルや旅館で食事もつけて、自分はサービスを受けるだけ。

何もしないしできない空虚な時間をまた過ごしてみたいと思った。

退屈をもてあそぶものは全て置いていき、何もできない非日常と空間作り出す。

 

これこそ、本当の気晴らしなのかもしれない。

 

旅行とはこのためにあるのかもしれない。

 

今度独りでそういう旅行に行きたいと思った。

 

そのあとのことは長くなったので割愛します。

 

ねる。