日々に記録を

今は何もできないけれど、自分の目標に少しでも近づきたいという気持ちから日記を始めました。自分の感受性をここで磨いていけたらと思います。

ヒトとして

ブログトップに日記を書き始めた理由やきっかけを書いた記事を貼ってあります。

この日記を読んでくださった方々にご一読をお願いしたいです。

よろしくお願いします。

 

5/6日記256日目。

 

先に昨日の結果だけいっておくと、追い風が吹いた、かな。

 

まぁ薄々気づいていたのかもしれない。

 

所々でつぶやいてるし。

 

あとなんでもいいけど、イライラの矛先を他人に向けないでほしい。

面倒くさいぞ!

 

その人の状態がよろしくないときの行動は大体把握してる。

だからこの際はっきり言わせてもらうがダルいぞ!

マジで!

カノジョほしいとか言うならそういうとこ直すのが先だと思うよ!

 

以上。

 

別に怒ってないよ。

ただ、言動は自分が当事者になった時のことを考えて起こすと自分の行動かいかに愚かかがわかってくる。

僕はそう思っている。

 

書きたいことあったけど、今日は今日のことで埋まってしまうな。

 

そんなもんか。

 

日記。

 

今日は頑張って起きた。

二度寝したけど、行きたくないと思って布団にこもってたけど、テストがあったので頑張って起きた。

 

講義には間に合ったがいろいろなものを失った。

登学途中、自転車で転倒した人を目の前で見つけたが声をかけられなかった。

側溝で頭を打っていたようにも見えた。

それを目の当たりにしていたのに僕は自分のことを優先して、1限があるからと自分のことを優先して通り過ぎてしまった。

 

大学についてからは、テストを犠牲にしてでも助けに行くべきだったと凄く後悔した。

テストと人命なんて、比べる余地もないだろ。

そういうところで自分の甘さを知りました。

 

もっと判断力のスピードを上げたい。

感情と行動の間にあるフィルターのような何かを拭い去りたい。

きっとそれがないことでほかの人に迷惑をかけてしまうけれど、それがあることで自分の思うことを貫徹することができないよりはましだろう。

 

「ヒトとして」の自分はまだ未熟だと痛感しました。

こんな当たり前なことができないのだから、僕はまだ一人前の人間ではありません。

成人式なんて産まれて20年経ったという形式的な通過儀礼であって僕はまだ子供だ。

僕が本当に大人になるためにはこういう精神的に未熟なことが少なくなっている頃だろうな。

20歳になっても年上の人の三人称が「大人」なのは僕がまだ自分自身を子供だと自覚しているからかもしれないし、錯覚しているからかもしれない。

 

そういう意味でも、強くなりたいと思う日々です。

 

ねる。